リットン調査団 - Wikipedia :"調査団はまっすぐ満洲入りするのではなく、日本、中華民国(上海、南京、北京)の視察も行っている。日本では荒木陸相、中華民国では蒋介石、汪兆銘、張学良、満洲国では当時「執政」の座にあった溥儀と会談している。さらに満洲で抗日活動を続ける馬占山将軍との会見も試みたが、日本側の反対に会い実現できなかった。調査団の視察は1932年6月に完了。8月より北京で調査報告書の作成を開始し、10月2日、報告書を公表した。"
報告書の内容は、日本の満州における権益を維持するものであり、 実質的に日本には損のない内容。ところが「満州国」が認められなかったことで日本はこれに反発し、国際連盟を脱退。その後の展開は皆の知るところ。「名を捨て実を取る」と言うことを知らなかった。
硬直的な官僚的思考および国民の「空気」とやらに流され、健全な常識を失うと、常にこういうことになる。
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